施設名

グループホーム
「安心樹」
やすらぎ

住宅型有料老人ホーム
「風の家」

グレース大善
「やすらぎ」

シェアハウス
「池之内」

家庭料理
「やすらぎ庵」

 

 

施設外観
内容

市内居住者限定。グループホームは認知症の状態にあることを医師により診断され共同生活を送れることができる方。自立してホームの仲間やスタッフと助け合い、のびのびと毎日を過ごせます。

心に寄り添い安心をご提供します。
安心の連携体制が充実し、医療・介護を提供します。

介護相談などをお気軽にご相談ください。

お隣同士で声を掛け合い、野菜栽培などの畑仕事で楽しく会話。週2回買い物ツアー開催。お食事は宅配食をご用意。サロンではお茶と会話が楽しめます。このマンションより仕事に行く方もおられます。

元気な高齢者が共同生活できる家です。独居の方は共同で生活することで生活に活気がでます。南に面した庭にはサンデッキがあり、景色の良い自然環境の中での生活は生き甲斐も生まれることでしょう。

自立いきいき村の玄関口にある店舗です。
朝の一杯のコーヒーでくつろいでください。

 

住所

小牧市大字池之内
398

小牧市大字池之内
520-1

小牧市大字池之内
388-3

小牧市大字池之内
556

小牧市大字池之内
301-3

電話 0568-47-6388 0568-47-5252 0568-54-3167 0568-54-3167 0568-54-3167

 

まったく新しい生活の提案
高齢者から赤ちゃんまで生活できる村
日本の市・町・村の企画担当者の方々へ
過疎の村でお困りの市・町・村の方々へ
運営・事業者・協力事業者・村での運営・その他募集してます。

 
 
 
 
 
資源の有効活用の提案書

平成28年4月吉日
高齢者生活支援研究所

株式会社 富本設計
新しい社会的共通資本の考え方
 
資源の活用

(1)漁業は昔からの産業として生計立てている。が高齢者が多くなってしまって維持がなかなかうまくできないのが現実だ。そこで「自立いきいき村」 を作って多くの人達に来てもらって漁業の活生化にいかす。

(2)ここで自立いきいき村 の人達で農作業をして農地の活用をすれば活生化される

ここで提案があります。

(1)日本は超高齢化社会になりました。高齢者が自立して生活できる村地方創生を国は掲げているので提案をして国のモデル事業とする。

(2)資源の活用の①・②・③・と高齢者の人達を組み合わせれば、日本の将来が見えてきます。日本一の自立いきいき村が完成します。
(3)国は高齢者が安心・安全・で楽しく健やかに生きていくことができる社会の構築をしなければならない。

自立いきいき村の基本的考え方

高齢者と農業を組み合わせて、自立しながら人生をいきられる村づくりをしたい。 退職後も何かの仕事について、社会のためになりたいと思っている人はたくさんいる。健康でいつまでも目標と夢をもつていたい。

都会で疲れて、うつ病など精神的に疲れた人達がいると思う。社会的な資源「会社の負担 保険」によって、村内で専門家の治療を受けて自然と触れ合えれば心が癒されて、また都会へ戻っていくことで社会が救われる。

閉じこもりなどによって、現在社会になじめない人達にも畑で土触れ合えばきっとよく名なる。食べ物と環境・景色がよい、空気がおいしい所だから

生活保護者の方々も自立できる場として、活用していただいて社会へ復帰できる施設

村内の道路は自動運転でバスの運行をする。未来都市を目指します。

エネルギーは、風力発電・太陽光発電・家庭生ごみ・レストランの生廃棄物などはバイオマスにて 処理する。
自立で行きたい。

飲料水は上水の利用・下水と農業水は、下水の浄化した水と雨水を利用する。

で見える人達は、〇〇〇〇道路できてもらえば早い。

 

退職したら第2の人生楽しく生きよう

 

人生の終焉・看取り介護・自宅にいるような施設
自立いきいき村は施設介護でなく共同体「CCRC」の村づくり

 

現代の町のなかでは、各人が家庭を築き、各事業所がばらばらに事業をしている。
無駄の時間、お金が使われている。
これからは自立をしていつまでも元気で楽しく生きられる社会「自立いきいき村」が必要になるとおもいます。

 

(1)高齢化社会を楽しく夢のある社会にしなければいけない。

(2)若者が未来を考える社会づくりをしなくてはいけない。

(3)地元で就職がなく都会や海外で仕事をする時代になってしまった。
地元で親の介護はできないだから親をほっておいていいのかというわけにも行けないとおもう。
地元へ帰って介護をすれば親子とも共倒れになってしまうのではないでしょうか、
そこで地元でがんばっている人達と共同体「CCRC」自立いきいき村づくり必要になります。
地方の活性化のため経済再生ができる。高齢者の生活・安定・安心・若者の雇用・子供の教育は
自然の中で育てられる。持続可能な社会いができます。

(4)行政と共同体で新事業体を作って企画運営をして行け場できると思います。

戸建住宅単身用
自立した人で農作業などをしている人

戸建住宅夫婦用
自立した人で農作業などしている人

緩和ケア
病気の終焉看取りができる施設 環境と景色がよく安心して天国へいける。
 回復期リハビリテーション
 急性期病院より転移してリハビリテーションをして在宅へ復帰してもらう施設
 環境・景色がよく食事もおいしいので回復が早い

有料老人ホーム
1フロアー36人1棟147人の5階建てマンションです。
元気な人は畑で野菜作りができます。
寝たきりの人は1フロワーで食事・入浴・娯楽・楽しめます。景色が楽しめます。

看護・介護の学校
看護課・介護課・国際経営課・全校175人 働きながら学べる学校です。

生活保護住宅
生活保護者の入居施設・運動と職業訓練がついているのでいつでも仕事に就けるように訓練と運動して体調整える。
金銭的な事は村内で働いて賃金をもらって生活費とする。

診察棟
診察するドクターは定住者と通勤者もいる。内科・外科・整形外科・脳神経科・泌尿器科 ・産婦人科・眼科・皮膚科
・耳鼻咽喉科・歯科・処置室・検査室・レントゲン室・CT室・総合診察ができる施設にしなければ成功しない。

障害者入居施設
障害者の人達がかんばつて生活ができる環境と食事がおいし暮らし

中央レストラン
デイサービスの人達  有料老人ホームの人達 戸建住宅の人達・学生・従業員の人達のリハビリテーションの人達 
の食事の場となる。

デイサービス
要支援の人達  要介護の人達  自立の人達 が元気に活躍できる。

薬局・ヘルパーステーション
院外処方の仕事・一般薬局  在宅介護の管理事務所

売店
コンビニ・美容院・トコヤ・銀行・郵便局・クリンニング・コインランドリー

農産物直売所
畑で採れた野菜・加工した物・魚・海藻・魚海藻加工物・村内レストラン
一般の観光客・近隣人達 いろいろな形で販売する「ネツト販売」

農家レストラン
とれたての魚や海藻・野菜などを利用して作った料理
社員・学生マンション
遠い所より来た人・外国より来た人・村内学校の学生

農産物加工工場
畑で採れた野菜の加工・海で取れた魚海藻の加工・直売所で販売する・
一般の観光客・近隣人達 いろいろな形で販売する「ネツト販売」

農業機械修理工場・農産物の生産・管理
農作業には欠かせない農業機械のメンテナンスの作業場・肥料加工・
苗作り・鶏の飼育・ヤギの飼育・豚の飼育・育成の管理

保育所
村内の従業員生活環境の一環
幼稚園
村内の従業員生活環境の一環

うつ病治療マンション
ドクター・看護師を置いて本格的に治療をする。
自然環境よい所で生活すれば必ずよくなる。
企業の指定施設になれば社会のためになる。

ドツクラン・キャトラン
動物セラピーとしての活用ができる。
心のいやしになる。

赤ちょうちん
居酒屋・カラオケスナツク・カラオケボックス寿司屋・昔懐かしい暖簾店

社会的共通資本の考え方

社会的共通資本は、1つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、豊かな経済的生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。

社会的共通資本は1人1人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割をはたすものである。

社会的共通資本は言い換えれば、分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得分配が安定的となるような、制度的諸条件であるといってもよい。それは、アメリカの生んだ偉大な経済学者ソースーティン・ヴェブレイが唱えた制度主義の考え方を具体的な型で表現したものである。ヴェブレイの制度主義の思想的根拠は、これもまたアメリカの生んだ偉大な哲学者ジョン・デューイのリベラリズムの思想にある。

社会的共通資本は決して統治機能の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてならない。

社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって専門的知見にもとづき職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。
社会的共通資本は

1)自然環境
2)社会的インフラストラクチャー
3)制度資本
自然環境は、大気・水・森林・河川・湖沼・海洋・温暖湿潤気候土壌などである。

社会的インフラストラクチャーは、道路・交通機関・上下水道・電力・ガス・など制度資本は、教育・医療・金融・司法・行政などの制度をひろい意味での資本と考える。
教育は、一人一人の子供もたちがそれぞれもつている先天的・後天的能力・資質をできるだけ育て、伸ばし個性豊かな一人の人間として成長することを助けようとするのである。
医療は、病気や怪我によって、正常な機能を果たすことができなくなった人々に対して、医学的な見地にもとづいて診察・治療をおこなえるものである。
どちらも一人一人の市民が人間的尊厳を保ち、人間が人間らしく生活を営むために、重要な役割を果たすもので、決っして市場的基準によって支配されてはならないし、また官僚的基準によって管理されてはならない。

社会的共通資本としての農村

農村における経済的、社会的、文化的環境を整備して農村での生活を魅力的なものとすることが必要となる。
それはたんに、農業の生活活動のために必要な、生産基盤整備だけでなく学校・病院・さまざま文化的施設さらに人間らしい生活を営むことができるような街路・交通機関などという公共的サービスをも含むつまり農村を一つの社会的起用通資本と考えて人間的に魅力のある、優れた文化、美しい自然を維持しながら持続的な発展をつづけることができる。コモンズを形成しょうということである。

日本のコモンズの制度について

灌漑・溜池・森林の入会制・漁業協同組合の制度である。
コモンズの概念はもともと、ある特定の人々の集団であるいは、コミュニティによってその生活のあるいは生存のために重要な役割を果たす

希少資源そのものか、このような特定の場所を限定して、その利用に関して特定の規約を決めるような制度を指す。

社会的共通資本としての教育

教育とは何か
教育とは、一人一人の子供がもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い、幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長することをたけるものである。
そのとき、ある特定の国家的、宗教的、人種的、階級的、ないしは経済的イデオロギーにもとづき子供を教育するようなことがあってはならない。教育の目的はあくまでも、一人一人の子供が立派な一人の社会的人間として成長して、個人的に幸福な、そして実り多い人生をおくることができるように成長することをたすけるものだからである。
このとき、まず留意しなければならないことがある。それは、子供たちが持っている先天的、後天的資質、能力がきわめて多様で、個性的であり、そのアスピレーション、夢もまた個性的で、多様な形態をもっていることである。子供たちが持っている能力を単元的な尺度で測ったり、比較しょうとしたり、あるいは、そのパーフォーマンスを順位づけしょうとすることは、教育の目的から大きく逸脱したものであり、決しておこなってはならない。
ある子どもは、文章を読んだり、作ったりするのが得意であったり、数の計算がうまく、図形の性質を正確にとらえる能力を持っている。
ある子どもは歌を上手にうたい、絵をかくのがうまかったり、ものつくりを得意とする。
また、走るのが得意であったり、物まねが上手な子どももいる 一人一人の子どもがもっている。個性的な資源を大事にし、その能力をできることが教育の第一次的な目的である。同時に、子どもたちが成人して、それぞれ一次的な目的である。
人の社会的人間として、充実した、幸福な人生を送る事が出来るような人格的諸条件を身につけのが、教育の果たすべきもう一つの役割である。
そのために、教育は、個別的な家庭、あるいは地域的ないしは段階的にせく限定された場でなく、できるだけひろく、多様な社会的、経済的、分化的背景を持った数多くの子どもたちが一諸に学び、遊ぶことができるような場でおこなわれることが望ましいわけである。
じじつ、世界のほとんどの国々で学校教育制度がてられているのも、このような事情からであるといってよい。

社会的共通資本としての医療

村民の健康を維持し(地域住民も多く)村民の保健・医療に係る基本的なサービスの供与を享受できるような制度を用意する責務を負うことになるわけである。
村内で診療所、できるかぎり多くの診療科を設ける。検査課は専門機関に開設をお願いする。
施設としては、回復期リハビリテーション病棟・緩和ケア病棟・薬局・訪問看護ステーション・うつ病回復病棟・

障害者入居施設救急医療は村外の病院で診察してもらう。

社会的共通資本としての金融制度

現在の銀行・証券業務・預金保険制度を社会的共通資本としてその経営に社会的な基準を設けて、
村として経済(生活)活動が円滑に機能することによって一人一人が安定した生活を営むために金融制度が機能し充分に発揮できるように条件を整備する使用がある。特に、金融制度が確立できなければこの計画重要である。

社会的共通資本は管理・運営

社会的共通資本の管理について、一つ重要な点にふれておく必要がある。
社会的共通資本は、それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもづき、専門的規律にしたがった管理、運営されるものであるということである。
社会的共通資本の管理、運営は決っして、政府によって規定された基準ないしはルール、あるいは市場的基準にしたがっておこなわれるものではない。この原則は、社会的共通資本の問題を考えるとき、基本的重要性をもつ。
社会的共通資本の管理・運営は、フィデュシアリーの(信託スイス銀行)原則にもとづいて、信託されているからである。
社会的共通資本は、そこから生み出させるサービスが市民の基本的権利の充足にさいして、重要な役割を果たすものであって、社会にとってきわめて「大切な」ものである。
このように「大切な」資産を預かって、その管理を委ねられるとき、それは、たんなる委託行為を超えて、
フィデュシアリーな性格をもつ。
社会的共通資本の管理を委ねられた機構は、あくまでも独立で、自立的な立場に立って、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって行動し、市民に対して直接的に管理責任を負うものでなければならない。
原則に忠実におこなわれているかどうかを監理し、それらの間の財政的バランスを保つことができるようにするものである。
制度主義経済体制における政府の経済的機能は、統治機能としての国家のそれではなく、すべての国家が、その所得、居住地などの如何にかかわらず、市民の基本的権利を充足することができるようになっているかどうかを監視するものでなければならない。
さまざまな社会的共通資本の組織運営に年々、とれだけの資源が経常的に投下されるかということによって政府の経常支出の大きさが決まってくる。
他方、社会的共通資本の建設に対して、どれだけの希少資源の投下がなされたかによって、政府の固定資本形成の大きさが決まる。このような意味で、社会的共通資本の性格、その建設、運営、維持は、広い意味での政府、公共部門の果たしている機能を経済学的にとらえたものであるといってよい。
 
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